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【今日は何の日?】というテーマで #幕末 #明治 #大正 #昭和 の同日に起こった歴史的出来事を紹介します。

広田弘毅内閣が総辞職。

【今日は何の日?】

1937年(昭和12年) 1月23日

広田弘毅内閣が総辞職。


1936年2月26日、陸軍皇道派青年将校らによる二・二六事件が発生。

大雪の東京は叛乱軍と一触即発の状況となり、内大臣斎藤実、大蔵大臣の高橋是清教育総監渡辺錠太郎ら政府要人が殺害される大事件となりました。

また、襲撃対象となるも運良く難を逃れた岡田啓介首相は、大事件発生の責任をとって辞職。

二・二六事件

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・岡田首相と義弟の松尾伝蔵

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後継首相は近衛文麿に大命降下されるものの、皇道派と近い関係にあった近衛は辞退しました。

軍人による政府要人殺害という事実から、有力政治家らも首相就任を忌避してしまいます。

こうして後継首相人事は難航しますが、最終的に岡田内閣の外務大臣だった広田弘毅が火中の栗を拾った(=広田)形で引き受けます。

広田弘毅(文官で唯一、A級戦犯として絞首刑判決を受ける)

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組閣中には陸軍の干渉で吉田茂自由主義者が排除されたものの、3月9日に広田内閣が成立。

陸相には寺内正毅元首相の息子の寿一(無派閥)が就任しました。

・広田内閣

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・寺内寿一(親子2代で元帥となる。太平洋戦争中の南方軍総司令官)

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寺内陸相皇道派排除を目的とした粛軍人事を断行。

現役の7大将(荒木、真崎、林、阿部、本庄、南、川島)を引退させた後、皇道派中堅層も中央から左遷されました。

また、現行制度では予備役でも陸相就任が可能であったため、真崎甚三郎大将等の皇道派予備役将校の陸相就任を危惧。

・真崎甚三郎(皇道派の領袖。二・二六事件は真崎内閣成立を目標とした)

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これを防止すべく、軍部大臣現役武官制の復活(陸海軍大臣は現役のみ)を広田首相に要求し、認めさせました。

更に軍部は軍備拡張のために大規模な予算要求を行い、大蔵大臣の馬場鍈一は要求に応じて増税と公債発行を財源とした極端な積極財政の予算案を表明。(馬場財政)

その結果、軍需品の輸入が増加して輸入超過になってしまい、円の価値下落を招いて物価高となりました。

こうした馬場財政行き詰まりの中、政友会の浜田国松議員が議会中に軍部の過度な政治干渉への批判を展開。

・浜田国松(議員歴30年の前衆議院議長)

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これに対して寺内陸相が「軍への侮辱である」と反論したところ、浜田議員が


「速記録を調べて侮辱発言があれば割腹して謝罪する。無ければ君が割腹せよ」


と再反論したことで、寺内陸相は大激怒。

浜田議員を睨みつけたため、議会が大荒れとなりました。(腹切り問答)

・浜田議員を睨む寺内陸相

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この後に議会は2日間の停会となり、寺内陸相は広田首相に対して単独辞職をちらつかせながら議会の懲罰解散を要求。

広田首相は経済面での行き詰まりから辞職を考えており、この解散要求を利用して拒否しました。

本日1月23日、閣内不一致を理由に広田内閣は総辞職しました。

後継首相には、大正期の軍縮で名を上げ派閥の長にまでなった予備役陸軍大将の宇垣一成に大命降下されます。

暴走気味の軍部への統制を西園寺公望から期待されての人選でした。

宇垣一成(長州閥に代わる宇垣閥を形成。何度も首相候補となる)

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しかし宇垣は、クーデター未遂の三月事件で人望を失っていたことから、陸軍内で宇垣内閣阻止の動きが開始。

参謀本部第1部長心得の石原莞爾陸軍省兵務局兵務課長の田中新一ら陸軍中堅層は、広田内閣で復活した軍部大臣現役武官制を悪用して宇垣内閣の陸相に就任しないよう政治工作。

陸軍の方針として宇垣内閣に陸相を出さないことが決定し、陸相を得られない宇垣は組閣断念に追い込まれました。(流産内閣)

こうした軍部大臣現役武官制の悪用は以後も絶大な効力を発揮し、軍部が台頭する日本の運命を決定づけるものとなります。