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【今日は何の日?】というテーマで #幕末 #明治 #大正 #昭和 の同日に起こった歴史的出来事を紹介します。

トラック島空襲が発生。

【今日は何の日?】

1944年(昭和19年)2月17-18日

・トラック島空襲が発生。


太平洋戦争開戦以来、日本軍は連戦連勝で占領地を拡大。

西はギルバート・マーシャル諸島、南はニューギニアソロモン諸島が最前線となります。

連合艦隊はそのどちらにも戦力を投入しやすい場所、両方面から等距離で良港だったトラック島を根拠地としました。

トラック島には、世界最大の46cm砲を装備した戦艦大和と武蔵を始め、連合艦隊主力艦が多数停泊しており

山本五十六連合艦隊司令長官もここで指揮をとりました。

・トラック島の大和と武蔵

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しかし、1942年8月7日からソロモン諸島ガダルカナル島をめぐる攻防戦が発生。

ヘンダーソン飛行場奪還を目標とする2度の総攻撃は失敗し、それを支援する連合艦隊も第三次ソロモン海戦(11月12-15日)の敗北以降、輸送船団による大規模な補給を断念。

こうして飢餓の島となった餓島からの撤退が検討され、1943年2月1〜7日のケ号作戦(ガ島撤収作戦)により、日本はガダルカナル島を失います。

駆逐艦による鼠輸送

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ガダルカナル島撤退後、新たな防衛線をブーゲンビル島(陸軍)とニュージョージア諸島(海軍)とします。

しかし、連合軍の勢いは止まらず、前線視察中の山本長官はブーゲンビル島上空で戦死。(海軍甲事件)

・戦死直前の山本五十六

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・撃墜された山本長官搭乗機

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ガ島から後退したこれらの島々や西のギルバート諸島の防衛線も、43年中には失陥ないし孤立化。

航空戦力の一大拠点であったラバウルも、連日大空襲に晒されて次第にジリ貧となってしまいます。

ラバウル航空隊

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こうした最前線の大幅な後退により、日本の真珠湾であったトラック島にも危機が訪れつつありました。

1944年1月末、マーシャル諸島に米機動部隊が大空襲を行った後、各島々へ上陸を開始。

・クェゼリン島の戦い

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・エニウェトク島の戦い

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後方に位置するトラック島にも敵偵察機が現れるようになり、大本営海軍部は敵の攻撃が近いとして、2月5日に同島から撤退を決定。

主力艦から順にパラオへ退避を開始するも、複雑な指揮系統で全ての部隊に連絡が行き届きませんでした。

本日2月17-18日、空母9隻を擁する米機動部隊は、トラック島を奇襲攻撃しました。

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1000機以上の敵機の波状攻撃(17日9波、18日12波)による大空襲で、新型の零戦52型を始め航空機300機を喪失。

更に、トラック島の補助艦船(駆逐艦、特務艦、輸送船)には、敵大編隊接近の情報が伝えられず、雷爆撃による被害が続出。

・空襲を受ける北洋丸

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・大爆発を起こす愛国丸

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運良く難を逃れて脱出した艦船も、待ち伏せた米戦艦部隊に捕捉撃滅される一方的な戦場となりました。

・戦艦部隊に撃沈される香取(練習巡洋艦)

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この2日間で重要な輸送船を中心に40隻以上が沈没し、備蓄燃料や軍需物資、地上施設も徹底的に破壊。

開戦初日の真珠湾を彷彿とする光景となり

トラック島は根拠地としての機能を完全に失いました。(戦死者約8000名)

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日本側では事前にレーダーで大編隊を捕捉していたものの、マーシャル方面に向かう敵編隊であると判断。

更に、この前日には大本営陸海軍部次長ら一行がトラック島を視察中で、その配慮から警戒配備→平常配備に移行。

これらの複合的な要因が米機動部隊の奇襲を許す結果に繋がりました。

 

トラック島空襲(海軍丁事件)の結果、開戦以来戦争指導を行なってきた大本営トップ、杉山元参謀総長永野修身軍令部総長は更迭。

後任として東條・嶋田陸海相が兼任する、いわゆる東條幕府が誕生します。

杉山元(日中戦争を泥沼化させた近衛内閣の陸相。対米英蘭開戦を主張した開戦派)

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永野修身(対米戦慎重派の多い海軍の中で予防戦争論の観点から早期開戦を主張)

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また、トラック島の無力化は同方面の軍事バランス崩壊を意味し、すぐさま絶対国防圏内のマリアナ諸島パラオへの大空襲が発生。

太平洋の戦局は完全に逆転します。