【今日は何の日?】
1940年(昭和15年) 9月23日
・日本軍が北部仏印に進駐。
1937年7月から始まった支那事変(日中戦争)により、日本は戦時体制に移行して長期戦へ突入。
財政や国民生活は日に日に悪化していき、支那事変の1日も早い解決が政府の最重要課題となりました。
戦争が泥沼化した背景には、援蒋ルートを利用した蒋介石政権への欧米の支援が挙げられ
その内の一つがフランス領インドシナ(現 ベトナム、ラオス、カンボジア)を経由する仏印ルートでした。
支那事変を解決したい日本政府は、仏印ルートの閉鎖を現地の仏印政府に何度も要求しますが、拒絶されてしまいます。
そんな中、1939年9月に欧州で第二次世界大戦が勃発し、9ヶ月後にフランスが降伏したことで状況が一変。
1940年8月末、親独のフランス本国政府との間で平和的な仏印進駐に合意します。
しかし、仏印政府との具体的な進駐交渉は、意図的に引き伸ばされて上手くいかず
日本陸軍内では不信感が高まっていました。
独断で政府間合意の交渉期限を半日早めた上、仏印政府へ過剰な要求を行い
決裂した場合には、第5師団長に武力進駐を指示しました。
結局、妥協案で現地合意が成立するも、自身の要求通りにならず憤慨した富永は指示を取り消さず帰国。
本日9月23日、第5師団は北部仏印へ進撃を開始しました。
平和進駐が可能であったにも関わらず、結果として武力進駐となったことで
米国は非難声明を出して屑鉄の対日禁輸を決定。日米関係悪化を招きました。
なお、明確な越権行為を行なった富永は、東条英機陸相の逆鱗に触れ、すぐさま更迭されることとなります。