【今日は何の日?】
1940年(昭和15年) 9月27日
・日独伊三国同盟が締結。
日中戦争で苦しむ日本は、中国を支援する英米と関係が悪化しており
英米を牽制する手段として、防共協定を結ぶドイツイタリアとの関係を三国同盟へ強化する動きが陸軍を中心に盛り上がります。
しかし、参戦条項を懸念する昭和天皇ら宮中グループ、親英米派が多い海軍(海軍三羽烏など)の反対、独ソ不可侵条約締結によるドイツへの不信感から頓挫してしまいます。
- 米内光政海軍大臣
- 井上成美軍務局長
1939年9月、ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発。翌年6月にはフランスが降伏します。
欧州大陸を席巻したドイツは、今度はバトルオブブリテンで英国を追い詰めており
近い内に英国本土上陸作戦が開始するような戦局となっていました。
この状況でドイツからスターマー特使が来日、松岡洋右外相に三国同盟を打診してきました。
松岡外相は懸念事項であった参戦条項を骨抜きにした上でスターマーと合意。
バスに乗り遅れるな!をスローガンに世論は同盟締結で盛り上がり
ドイツの連戦連勝に酔いしれる政治家や陸軍はもちろん、以前は反対だった海軍までも消極的ながら三国同盟に賛成を表明。
9月19日に開かれた御前会議では、原嘉道枢密院議長が三国同盟に反対するも、松岡外相が押し切って正式決定となりました。
しかし、この4日前にドイツ空軍がロンドン上空で大敗北していることなど日本の誰も知りませんでした。
本日9月27日、東京の外相官邸及びベルリン総統官邸で調印式が行われました。
日独伊三国同盟の締結により、連合国と蘭印政府、彼らを支持する米国との対決姿勢が明確となりました。
後に厳しい経済制裁を加えられる日本は、資源獲得のため南進することになります。
また、松岡外相は日独伊にソ連を加えた四国同盟を構想してドイツに打診。
前段階として1941年4月に日ソ中立条約を結びますが、6月の独ソ戦開始により破綻してしまいます。