【今日は何の日?】
1940年(昭和15年) 10月12日
・大政翼賛会が発足。
1937年7月に日中戦争が勃発します。
トラウトマン工作による日中和平を模索した近衛文麿首相でしたが、度重なる中国側の回答引き伸ばしで和平を断念。
国民政府を対手とせずで有名な、第一次近衛声明を発表します。
戦争長期化を見据えた近衛内閣は、1938年1月に国家総動員法の要綱を議会へ公表しました。
しかし、同法が社会主義的かつ独裁であるとして政友会と民政党が反対したことから、対策として議会解散と近衛新党結成をちらつかせました。
その結果、既成政党側が妥協に転じて同法は成立しました。
1939年9月、第二次世界大戦が勃発し、1940年6月にはフランスがドイツに降伏。
ドイツの快進撃に熱狂した日本では
ナチスのような一国一党の強力な指導体制を作るべきとする、新体制運動が盛り上がります。
そのリーダーとして浮上したのが、五摂家の末裔で当時国民人気も高かった近衛文麿でした。
・近衛文麿(39年1月に辞職後、40年7月に再度首相に就任)
・荻外荘会談(東条英機 吉田善吾 松岡洋右と今後の方針を討議)
かつて新党結成を模索した近衛首相も改めて準備を行い、それに合わせて全ての政党も自発的に解散して合流。
本日10月12日、近衛文麿を総裁とする政党、大政翼賛会が発足しました。
・大政翼賛会本部
しかし、幕府の再来で天皇の地位を脅かすとして平沼騏一郎ら右派勢力による圧力を受けた結果、政党としての大政翼賛会は翌年2月に消滅しました。
内務省管轄の公事結社となった大政翼賛会は政治活動を禁じられますが、関連団体による政治活動は続けられ
また、末端組織の町内会や隣組を通じた住民統制が行われ、以後の戦時体制維持には大きな役割を果たしました。