【今日は何の日?】
1881年(明治14年) 10月11日
・明治十四年の政変が発生。
明治政府のリーダー大久保利通の暗殺後、大久保の下で力をつけた伊藤博文が政府の主導権を握り
大蔵省を権力基盤に政府の財政を握る大隈重信も伊藤に従いました。
1881年3月、自由民権運動の激化に伴い各参議が立憲政体設立の意見書を提出する中、遅れて大隈も提出。
しかし、その内容が2年後の国会開設と英国流の政党内閣を目指すといった急進的なものであったことから、伊藤が激怒して両者の間が険悪となります。
7月21日、北海道開拓使廃止に伴う民間への払下げが閣議決定されるも
26日、開拓使長官の黒田清隆が同郷の五代友厚へ破格での払下げを行うとの新聞報道がなされて世論が沸騰する、いわゆる開拓使官有物払下げ事件が発生。
参議の間で、これを新聞社にリークしたのが大隈であるとの認識が広がりました。
この事件が決め手となり
本日10月11日、有栖川宮熾仁親王、三条実美、岩倉具視の3大臣と伊藤博文、黒田清隆、山縣有朋、西郷従道、井上馨、山田顕義の6参議が密談して大隈の罷免で合意。
大隈排除に伴い、大隈系官僚(前島密、犬養毅、尾崎行雄ら)も大量辞職する明治十四年の政変となりました。
政府を追われた大隈らは立憲改進党を立ち上げて、民党の立場から伊藤ら明治政府と対立することとなります。
・東京専門学校(早稲田大学)
ちなみに、官有物払下げは一旦中止となり、国会開設の詔(9年後の国会開設と憲法制定)も出されたことで、事件は終息します。