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【今日は何の日?】というテーマで #幕末 #明治 #大正 #昭和 の同日に起こった歴史的出来事を紹介します。

東條英機内閣が成立。

【今日は何の日?】

1941年(昭和16年) 10月18日

東條英機内閣が成立。


同年9月6日に御前会議が開催され、外交交渉が決裂した場合は10月上旬に対米英蘭戦を決意する、という帝国国策遂行要領を決定。

10月12日、近衛文麿首相、東條英機陸相、及川古志郎海相らが荻外荘で会談します。

・荻外荘(近衛の私邸)

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9月6日の決定を元に東條陸相が近衛首相に開戦を迫りますが、近衛首相は外交交渉にこだわりました。

東條陸相の開戦論に困った近衛首相は及川海相に助け舟を求めますが、開戦判断は総理一任と言われてしまい

その後も対立が解消されず閣内不一致となったことから、対米戦に自信の無い近衛首相は4日後に辞職。

・第3次近衛文麿内閣

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後継首相には近衛と東條が皇族の東久邇宮稔彦王を推します。

ところが、17日に参内した東條は突然大命降下されました。

この背景には、和平のために毒を以て毒を制す考えの木戸幸一内大臣の推薦があり

大胆な人事を知った昭和天皇は、「虎穴に入らずんば虎子を得ずだね」と語りました。参内した東條には帝国国策遂行要領再検討(白紙還元の御諚)を命じます。

木戸幸一(天皇側近として戦時中の重臣会議を主催、木戸孝允の孫)

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外務大臣には開戦反対派の東郷茂徳、商工大臣には岸信介が内定。

海相には豊田副武が内定しますが、東條が拒否する異例の事態となります。

この海相人事を巡って組閣流産の危険がありましたが、結果的に海軍が妥協して嶋田繁太郎横須賀鎮守府司令長官に変更しました。

豊田副武(後に連合艦隊司令長官、最後の軍令部総長)

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嶋田繁太郎(避戦論を撤回し開戦を決断、戦後にA級戦犯となる)

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本日10月18日、東條英機内閣が成立しました。

東條内閣下で帝国国策遂行要領の再検討が行われますが、1ヶ月半後に3年8ヶ月にわたる地獄の太平洋戦争が始まります。

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