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【今日は何の日?】というテーマで #幕末 #明治 #大正 #昭和 の同日に起こった歴史的出来事を紹介します。

甲申事変が発生。

【今日は何の日?】

1884年(光緒10年) 12月4日

・甲申事変が発生。


江戸幕府崩壊後に誕生した明治新政府は、幕府と交流のあった朝鮮と国交を結ぶため使節を派遣するも、拒否されます。

これが原因で、明治6年にいわゆる征韓論政変が発生しました。

・明治六年政変(西郷隆盛ら5参議をはじめ、約600名が辞職)

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この頃朝鮮では、国王高宗の実父、大院君が鎖国攘夷を掲げ実権を握っていましたが、景福宮再建に固執して財政悪化を招き1873年11月に失脚。

 

・興宣大院君(数々の改革を成し遂げ、閔妃一族と生々しい権力闘争を繰り広げる)

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大院君失脚後、強い者に迎合する思想の事大主義を掲げた高宗の妃、閔妃とその一族が実権を握ります。

1875年9月、日本の軍艦が朝鮮側から砲撃される江華島事件が発生。

江華島事件

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これをキッカケに閔妃政権は日朝修好条規を結び、朝鮮は開国政策に転じました。

閔妃は日本や西洋に対して好意的であった一方、一族を要職につけて権力を独占したため政治は腐敗。

大院君の時代を懐かしむ者が増え、当の大院君も期待に応えるべくクーデターを計画。

1882年7月、壬午事変が発生しました。

クーデターは一時成功して大院君政権が誕生するも、宗主国である清国が大軍を派遣して大院君を拉致し、反乱軍は鎮圧。

壬午事変(クーデターの最中、日本公使館員らが殺害された)

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・天津に幽閉中の大院君

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壬午事変後、復活した閔妃政権は外交面で清国との関係を重視し、内政面では度重なる祭祀で浪費。

清国から派遣された野心家の袁世凱が朝鮮の実権を握る状態となりました。

自主独立による朝鮮の近代化を目指す急進開化派(独立党)は、危機感を抱いてクーデターを計画します。

急進開化派は、日本の明治維新に影響を受けた金玉均と朴泳孝を中心とする青年貴族官僚集団で

福沢諭吉井上馨外務卿ら多くの日本の有力者と交流があり、資金提供を受けていました。

金玉均(甲申事変後、上海で暗殺された後、残忍な凌遅刑となる)

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・朴泳孝(太極旗のデザインを考案したとされる)

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1884年8月、ベトナム領有を目論むフランスと宗主国の清国との間で清仏戦争が勃発しました。

清仏戦争(戦争の結果、仏領インドシナが成立する)

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劣勢となった清国は朝鮮駐屯軍の半数1500名を内地へ移動しました。

これを好機と捉えた急進開化派は、日本公使の竹添進一郎にクーデター計画を打ち明け、竹添公使も協力を約束。

・竹添進一郎

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本日12月4日、郵政局開庁の宴会に乗じて放火。清国軍の反乱であると偽って高宗に報告しました。

報告を受けた高宗は直ちに日本公使館に支援を要請し、日本軍が出動。

この間、王宮に駆けつけた閔妃政権の高官が次々と殺害され

一夜にして金玉均ら急進開化派を中心とする新政権が誕生しました。

しかしこれを許さない清国は6日、袁世凱ら率いる清国軍1300が王宮へ突入。

袁世凱(李鴻章の下で力を付け、後に中華民国皇帝となる)

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王宮を守る朝鮮軍400と日本軍150は清国軍と交戦するも多勢に無勢で撤退し、新政権は三日天下で崩壊しました。

首謀者の金玉均らは竹添公使と共に日本へ逃亡。

今回の戦闘の影響で首都の漢城府は大混乱となり、多数の日本人居留民が殺害されました。

漢城

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クーデターへの関与を疑われた日本政府は清国と朝鮮内の駐兵権を失う天津条約を結び、朝鮮における影響力を後退させることとなります。

一方で、天津条約内の居留民保護を目的とする緊急出兵権は、10年後に勃発する日清戦争の伏線となります。