【今日は何の日?】
1941年(昭和16年) 12月10日
・マレー沖海戦が発生。
同年12月8日未明、日本陸軍は英国植民地のシンガポール占領を目的にマレー半島コタバルへ上陸。
日本海軍は真珠湾停泊中の米太平洋艦隊に奇襲攻撃を加えて大戦果を挙げ、3年8ヶ月に及ぶ太平洋戦争が勃発します。
このような事態を予測していた英国は、当時不沈艦と宣伝された新型戦艦プリンスオブウェールズ、巡洋戦艦レパルスの2隻を東洋へ派遣していました。
2隻主体とする英国東洋艦隊は、日本軍の企図を阻止すべくシンガポールのセレター軍港を出撃。
・プリンスオブウェールズ(全長227.1m 主砲35.6cm 速力28ノット 1941年就役)
・レパルス(全長242m 主砲38.1m 速力31.5ノット 1916年就役)
9日には警戒中の日本潜水艦部隊から東洋艦隊発見の報が相次ぎ
本日12月10日、南部仏印の日本海軍基地航空部隊は、日本輸送船団へ攻撃を企図する東洋艦隊を発見しました。
・赤線が東洋艦隊の航跡
数次に渡る基地航空隊の爆撃と魚雷攻撃がプリンスオブウェールズに次々と命中し、同艦は戦闘不能。
巧みな操艦技術で何度も攻撃を回避していたレパルスもついに被弾してしまい
東洋艦隊司令長官のトーマスフィリップス提督を始め約800名が、沈みゆく2隻と運命を共にしました。
・航空攻撃を受けるプリンスオブウェールズ(上)とレパルス(下)
・味方駆逐艦に退避するプリンスオブウェールズの乗員
こうして英国植民地を防衛するために派遣された虎の子の戦艦戦力は壊滅。
以後、日本軍のマレー作戦は順調に進行していき、マレー沖海戦はその成功を象徴する戦いとして戦争画にもなりました。
戦艦2隻沈没の報を受けたチャーチル首相は、あまりにも予想外の出来事に驚愕して敗戦を覚悟したとされ
情勢を注視していた山本五十六連合艦隊司令長官も、旧式のレパルス撃沈が限界と予想して部下とビールを賭けていたというエピソードが残されています。
・プリンスオブウェールズを訪問するチャーチル首相
年々進化を遂げていた航空機の優位性を叫ぶ声は高まっていたものの、未だ航行中の軍艦を撃沈する能力は無いとされていました。
しかし今回のマレー沖海戦は、航行中の戦艦が撃沈された初の事例として全世界に衝撃を与え、軍事学の常識を覆す結果となりました。
航空機の重要性を理解した米国は、真珠湾攻撃での大被害もあったため戦艦を主力とする大艦巨砲主義から航空主兵主義に転換。
空母や航空機の戦力拡充に励む一方、常識を覆した当事者である日本海軍が航空主兵主義に転換するのは、敗戦色濃厚となる数年先の話となります。