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【今日は何の日?】というテーマで #幕末 #明治 #大正 #昭和 の同日に起こった歴史的出来事を紹介します。

第3次桂太郎内閣が成立。

【今日は何の日?】

1912年(大正元年) 12月21日

・第3次桂太郎内閣が成立。


1885年12月の内閣制度誕生以来、その首席宰相である首相は、明治維新に貢献した山縣有朋伊藤博文藩閥勢力が持ち回りで就任していました。

彼らが歳をとって第一線を引くと、山縣子分格の桂太郎

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伊藤子分格の西園寺公望

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といった第2世代が交互に首相に就任する、いわゆる桂園時代となります。

桂園時代の議会は、日本憲政史上唯一の2期連続任期満了に伴う総選挙が行われ

首相の桂太郎は陸軍軍人ながら人身掌握術に長けた政治軍人として、西園寺は10年間のパリ留学中に民権思想を学んだ経験から第1党の立憲政友会総裁として活躍。

両者の妥協の下で安定した議会運営がなされていました。

・パリ留学時代の西園寺

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しかし、第2次西園寺内閣下で朝鮮半島に駐留させる師団増設を求める陸軍と内閣が対立する、いわゆる二個師団増設問題が発生。

政党嫌いの山縣の代弁者として長年議会と対峙してきた桂は、政党政治に理解を示し始め、反政友会の桂新党結成を考えるようになっていました。

二個師団増設問題発生を受け、政治的野心のあった桂(内大臣侍従長)は、陸軍大臣の上原勇作を焚き付けて辞職させ

その後、陸軍が後任の陸相を出さなかったことから、西園寺内閣は総辞職。(軍部大臣現役武官制)

本日12月21日、第3次桂太郎内閣が成立しました。

桂内閣には、後に首相経験者となる加藤高明(後日外相)、若槻禮次郎(蔵相)、斎藤実(海相)が入閣します。

加藤高明(後の立憲民政党の母体となる立憲同志会を結成)

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若槻禮次郎(満州事変発生時に立憲民政党総裁兼首相)

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斎藤実(犬養毅暗殺後に挙国一致内閣の首相)

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しかし、山縣と桂ら陸軍の陰謀で、世間の支持率が高かった西園寺内閣を倒閣したとして、桂内閣は厳しい船出となり

すぐに閥族打破・憲政擁護を掲げる第一次護憲運動が発生。

連日、多くの群衆が国会を取り囲む大正政変に発展します。

・政府寄りの新聞社を襲撃する群衆

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